[万葉集の和歌と日本酒]


家業せいか日頃『酒』という字につい反応してしまいます。
休みに行った本屋さん(そこには本だけではなく、独特のセンスのイロんな物がごっちゃ混ぜに 存在していておもしろいのです)でふと手にとった写真集のなかに『酒』の字を見つけてしまい、 本の装丁も気に入って買ってしまいました。
"contemporary remix” 万葉集  songs of life*注 という本でした。そこには数々の雰囲気 人物 犬 猫 景色の写真と万葉集の歌、そして同時 代語訳(著者自称)が載っていました。
シンプルな整列からなる万葉の歌と、まるでラップみたいに小気味の良いリズムのある訳、そし てまったく関係ないようなあるような写真。
それがやけにかっこよくって 人間臭く かなしくって やりきれなくて ヨロシ。
ここに載っている中から歌とその同時代語訳をそこに出ている酒の話も絡めながら紹介してみ たいと思います。
*注 このシリーズは『万葉集』の歌とそれを現代に移し変えた『翻訳』(同時代語訳)、そしてスナップ写真を中心とする『今』を切り取った写真群によって構成された写真詩集シリーズである。『万葉集』についての学術的な専門書ではない。あまり『万葉集』になじみのない読者にも歌のトータルな内容を出来るだけわかり易く伝えるために、いったん解体した逐語訳を現代的に再構築した訳文になっている。

験(しるし)なき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁酒(にごれるさけ)を 飲むべくあるらし  /大伴旅人 巻3.338

考えてもムダなことは
クヨクヨ思い悩まずに
コップ一杯の安酒を
キュッと飲るのがいいらしい

大伴旅人とは山上億良とならぶ万葉集第三部の代表家人です。また、大伴家持の父でもあります。 これは『酒を讃(ほ)むる歌』と題された十三首の中の一首で有名な歌です。 この『濁酒』はニゴリザケと訓読みされ、これが近世のドブロクとまったく同じかどうかは定か ではありませんが、庶民の多くに親しまれていた酒だったということです。


君がため 醸(か)みし待酒(まちざけ) 安の野に 独り飲まむ 友無しにして  /大伴旅人 巻4.555

友よ 君のために用意した
とっておきのこの酒を
広い野原でただひとり
僕は寂しく飲むとしよう

都から遠く離れた大宰府にいる作者のもとを訪れた友人が帰ってしまった悲しみを歌っていま すが、そこにはひとり大宰府に残る作者の孤独感がひしひしと感じられます。
ここに出てくる”醸し待酒”という酒は『口醸(くちか)み酒』では?という説があります。『口 醸み酒』とは人間の唾液の中のアミラーゼの作用で穀物中の澱粉を糖化し、酵母によって酒にな ったものです。現在の造りで言う麹の作業のかわりとして唾液が用いられているわけです。具体的に『かむ』という単純な行為により目的が達せられ、最終的には酒が出来るわけです。しかし、 単純な行為であるといっても、時代は違いますが、かつてミシカン・ピイトウ(神酒・かむ・人) にえらばれた石垣島の老女の話によると「歯は疲れ、口は荒れ、顎は痛むし、噛みミシン(神酒)のきびしさとつらさは忘れられない」と語るほどかなり辛い作業だったようです。また、『待酒』 とは『生酒』のことで、もともと神祭りや客を迎えるたびにつくられ、その場で飲んでしまう物 だったようです。『待酒』は、年中つくられ出来たばかりのところをそのまま飲まれていたのだそうです。


なかなかに 人とあらずは 酒壷に 成りにてしかも 酒に染みなむ   /大伴旅人 巻3.343

ハンパな人間でいるならいっそ
一升ビンになればよかった
一升ビンになって ずっと
酒にどっぷり浸かりたかった

そこまで・・・。こう言ってしまえるのもすごいです。
”ここまでいくとはっきりいってアル中である”と本にもかいてあります。
真相は知りません。
ここでは『酒壷』を現代風に『一升ビン』と訳してあります。酒は液体ですので、つくるにしろ、 貯蔵するにしろ、飲むにしろ、何か器(うつわ)が必要です。日本の最初の”やきもの”の器は 縄文式土器です。そして弥生式土器、古墳時代になると土師器(はじき)が古代・中世を通じて 基本的な”やきもの”として日常用いられました。古墳時代後期には須恵器(すえき)と呼ばれ る陶質土器が朝鮮から伝えられました。これは釉(うわぐすり)はかかっていませんが1200度 くらいの高温で焼かれ、灰色に固く焼きしまっています。
これで酒を入れてもしみ出てしまわない器がようやくつくられたのです。そして奈良時代には釉 をぬった陶器が出現します。万葉集の時代ですね。(しかし、本格的には鎌倉時代初期に瀬戸で つくられたとされています。中国からの技術がやがて美濃にまで広がったそうです。酒造りにも 使用され、鎌倉幕府が酒の売買を禁止した際、鎌倉だけでも3万7千個余りの酒造用の壷があっ たそうです。)
そしてこのような酒壷が一升ビンへと変わっていくのですが・・・・・・・・・・・。
江戸時代、ガラス製造の技術が長崎に入ってきます。そのころは、まだ高価でとても一般 の手に入るようなものではありませんでした。明治維新後、日常生活に使えるようなガラスの技 術が改めて海外から導入され、明治30年、ガラス製品の生産プラントの導入によりガラス瓶の 量産が可能になったのです。それ以降、清酒の代表的な容器として一升瓶は存在しています。こ の一升瓶のカタチ、最初は『通い徳利』に似たでっぷりと丸みのあるカタチでしたが、大正末期 からは、だんだんスマートになっていき、現在のような一升瓶のカタチになったそうです。


参考文献:
Contemporary Remix 万葉集 songs of life ドス・マスラオス 光村推古書院M
日本の酒 5000年 加藤百一 技報堂出版
酒の日本文化 神崎宣武 角川選書
秘められた清酒のヘルシー効果 今安聰 地球社
  目次 前